船穂足尼 [朝来の先人]
船之宮古墳(県指定文化財)昭和36年8月23日指定
この古墳は円山川左岸の段丘の上に築造された5世紀後半(約1500年前)の前方後円墳である。但馬地方で第2番目に大きい規模の機内大王墓の形態を有する堂々たる古墳である。
昭和55年度、武庫川女子大学考古学研究会により測量調査が行われ、古墳の外形や現状の規模等が明らかにされた。その後、昭和62年度から平成元年度にかけて周濠・墳丘の確認調査が行われた際、調査トレンチ(溝)から墳丘斜面の葺石・根石が築造当時のまま現われ、その測量から全長86m、前方部幅50m、後円部径47m、高さ8mの規模を持ち、三段築成で、くびれ部に造り出しを持つ大型の前方後円墳であることが確認された。周濠は楯形であり、周濠外壁にも墳丘斜面と同様、葺石が施されていることが明らかにされた。なお、周濠の外側からも埴輪等が出土することから古墳周辺にも何等かの遺構のあるものと推定される。
古墳の前方部は北側にあり、上部は中世末期に建立された八幡宮によって変形され、東側は旧国道312号線の下に埋没している。西・南側には周濠の遺構が今も残っている。埋蔵主体は不明であるが、但馬の国造と伝える彦座王(ひこいますみこ)の5世の孫である船穂足尼(ふなほそこね)であるとの伝承もあるが詳らかではない。しかし、大和朝廷と何らかのかかわりのある国造級の豪族の墓であると思われる。
平成元年12月朝来町教育委員会(現地看板より)
大和朝廷の勢力圏を示すと思われる貴重な古墳である。4~5世紀にかけて但馬では国津神系(出雲族あるいは土着の旧勢力)と天津神系(天孫族つまり天の神の子孫を自称するおそらく大陸からの渡来民族)とのせめぎ合いの地であったようだ。天日槍(あまのひぼこ)伝説のように、天津神の対抗勢力の伝承を多く持つ北但と大和の影響強い南但という印象が強いが、詳細は不勉強でよくわからない。
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