多田彌太郎 [出石の先人]
浅間トンネル出石側にある多田彌太郎の顕彰碑。
「生野の変」で倒幕の兵を挙げ失敗。逃亡中この地で惨殺された出石藩勤皇の志士である。(「但馬人物誌」略歴より)
「生野の変」についてはよくわからない点もある。池田草案の去就(「挙兵」へ参加を拒否)についても評価が割れるところである。
しかし、ここ浅間峠は往古も今も交通の要衝であるところに変わりはないようだ。
かつて合併前の旧日高町は「但馬の新十字路」と称し、「日高に明石大橋なみの超長大橋をかける」と豪語し、村岡~神鍋(日高)~城下町・出石を結ぶルート上に地元住民の反対を押し切って「高架道路」をつくろうとしたことがある。現在、この「日高都市計画道路」は計画休止中である。この先どうなるかは未定だが、国・地方あげて財政難の折り、住民の反対もあり、産業上、現豊岡市にとってさほど重要とも思えない「高架道路」計画が復活するとも思えない。
京阪神から出石への通行ルートに、また出石から村岡・湯村方面へもこの浅間峠がよく使われる。マイカーでこのルートを利用される方は、ぜひ浅間トンネル出石側の「顕彰碑」をみてほしい。
「生野の変」をどう見るかは別として、やはり「歴史の流れ」、「兵(つわもの)どもが夢のあと」を実感できる地である。
池田草案の評価、また「生野の変」の詳細については、別途深めてみたい。
また多田彌太郎顕彰碑は出石城跡にも存在するので、こちらも次の機会には紹介してみたい。
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