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桜井舟山 [出石の先人]

瀬戸谷皓著「但馬の古代」 但馬の考古学黎明期に活躍した先人である。

 出石藩の学者であった。今から250年くらい前の人である。養父市大薮にある大薮古墳群について記述している。

 その内容は「大薮付近でも塚を発いて遺物を得たと伝えているが、もし事実ならこれらの窟(大薮古墳群)は上古尊者の墓であろう」と記している。

 「当時の認識としては卓越したもの」と紹介されている。

 古来都や半島との関係から遺跡や遺物の豊富であった但馬では早くから考古学的に発想が見られたようである。


但馬文化協会発行、瀬戸谷皓著「但馬の古代」(写真)より。

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経王寺の詩 [出石の先人]

経王寺4月の春・・・・

   冬の名残り雪が舞う日あれども・・・・・
静かに春の香はただよう・・・・・
遙かなり ふるさとの山河

いつの日にも夢みる
ふるさとに君の想い出が眠っている
心はいつも彼の地に立ちかえる・・・・

花冷えの春・・・
淡雪舞う午後おそく



 経王寺(きょうおうじ)の詩(うた)、と読みます。数年前に興にかられるまま、ビジュアルブック(映像詩)のフレーズとして自作したものです。

 その後縁あって、「但馬人物誌」の編集に関わる中で、経王寺が非業の死を遂げた勤皇の志士、多田彌太郎の墓地のある寺だと知った。詩と映像が何となく彌太郎の心情にも共鳴する気がしてくるから、不思議なものである。

経王寺境内にて


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多田彌太郎 [出石の先人]

多田彌太郎顕彰之碑  多田彌太郎
 浅間トンネル出石側にある多田彌太郎の顕彰碑。

 「生野の変」で倒幕の兵を挙げ失敗。逃亡中この地で惨殺された出石藩勤皇の志士である。(「但馬人物誌」略歴より)

 「生野の変」についてはよくわからない点もある。池田草案の去就(「挙兵」へ参加を拒否)についても評価が割れるところである。
 しかし、ここ浅間峠は往古も今も交通の要衝であるところに変わりはないようだ。

 かつて合併前の旧日高町は「但馬の新十字路」と称し、「日高に明石大橋なみの超長大橋をかける」と豪語し、村岡~神鍋(日高)~城下町・出石を結ぶルート上に地元住民の反対を押し切って「高架道路」をつくろうとしたことがある。現在、この「日高都市計画道路」は計画休止中である。この先どうなるかは未定だが、国・地方あげて財政難の折り、住民の反対もあり、産業上、現豊岡市にとってさほど重要とも思えない「高架道路」計画が復活するとも思えない。

 京阪神から出石への通行ルートに、また出石から村岡・湯村方面へもこの浅間峠がよく使われる。マイカーでこのルートを利用される方は、ぜひ浅間トンネル出石側の「顕彰碑」をみてほしい。

 「生野の変」をどう見るかは別として、やはり「歴史の流れ」、「兵(つわもの)どもが夢のあと」を実感できる地である。

 池田草案の評価、また「生野の変」の詳細については、別途深めてみたい。
 また多田彌太郎顕彰碑は出石城跡にも存在するので、こちらも次の機会には紹介してみたい。
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一瀬粂吉 [出石の先人]

一瀬粂吉の記念碑出石高校赤門にある一瀬粂吉の記念碑。

 赤門とは何か、インターネットで調べたがよくわからない。出石藩時代の遺物らしい。赤門を作ることを許されていた一族の出である一瀬粂吉が戦前に建設し寄贈したものだそうだ。学校の敷地内にありながら所有者は「豊岡市」という不思議な建築物である。東大にも「赤門」があるが、何か関係でもあるのだろうか。初代東大総長・加藤弘之生家がすぐ目の前というのも因縁を感じないでもない。

タグ:先人
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歴史と学びの小径 [出石の先人]

歴史と学びの小径 出石の先人史跡を調査していて思わぬ発見があった。出石城から谷山方面へかけて「散策路」が整備されている。
 出石城横の諸杉神社からスタートして桜井勉生家跡、弘道館(藩校)跡公園、大友工生家、岩鼻稲荷神社、経王寺、加藤弘之生家、赤門(一条粂吉記念碑)、伊藤清永生家、吉祥寺、石部神社など史跡が目白押しである。

 観光スポット出石城から少しはずれた位置に案内板があり、一般観光客には目立ちにくい場所である。なおかつ先人史跡中心という地味なテーマであり、観光の目玉とはしがたい気がする。それでもなおかつ、このルートを整備し、維持してきた出石住民の心意気が伝わる企画である。

 全部見て回ると、おそらく半日はつぶれるであろうが、先人ファンにはこたえられないコースである。

<関係先人略歴>
桜井 勉:1843~1931。出石藩弘道館長。徳島・山梨・台湾新竹県知事。
大友 工:1925~  。別所毅彦とともに巨人のエースとして活躍。
加藤弘之:1836~1916。東京大学総長をはじめ、官界学界の多数の官職を歴任。
一条粂吉:1870~1943。文部省に勤務の後、三十四銀行副頭取、三和銀行取締役。
伊藤清永:1911~2001。画家。女性美を追求した作品多数。

「但馬人物誌」より

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