フランスから来た鉱山師 [生野の先人]
観光・生野銀山の金香瀬坑の入口の石造りの坑口は明治初期、鉱山の近代化のためフランスより招聘されたジャン・フランソア・コァニェが築造したフランス様式の坑口である。
〔略歴〕
ジャン・フランソア・コァニェ
1835年、フランス、ロアール州サンテチェンヌ生。鉱山師。1867年、薩摩藩に招かれる。1868年、明治政府と雇用契約、生野に到着(お雇い外国人第1号)。生野鉱山の機械化に尽力。1878年帰国、1902年没。
資料館には1回の調査では勉強しきれないくらいの量がある。今回もまた「鉱物資料館」は回りきれなかった。次回調査の楽しみとしたい。
(坑道入口の案内板より)
〔略歴〕
ジャン・フランソア・コァニェ
1835年、フランス、ロアール州サンテチェンヌ生。鉱山師。1867年、薩摩藩に招かれる。1868年、明治政府と雇用契約、生野に到着(お雇い外国人第1号)。生野鉱山の機械化に尽力。1878年帰国、1902年没。
「鉱山資料館」の説明文より抜粋
資料館には1回の調査では勉強しきれないくらいの量がある。今回もまた「鉱物資料館」は回りきれなかった。次回調査の楽しみとしたい。
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