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フランスから来た鉱山師 [生野の先人]

生野の鉱山師.jpg 観光・生野銀山の金香瀬坑の入口の石造りの坑口は明治初期、鉱山の近代化のためフランスより招聘されたジャン・フランソア・コァニェが築造したフランス様式の坑口である。
(坑道入口の案内板より)


〔略歴〕
ジャン・フランソア・コァニェ
 1835年、フランス、ロアール州サンテチェンヌ生。鉱山師。1867年、薩摩藩に招かれる。1868年、明治政府と雇用契約、生野に到着(お雇い外国人第1号)。生野鉱山の機械化に尽力。1878年帰国、1902年没。
「鉱山資料館」の説明文より抜粋


 資料館には1回の調査では勉強しきれないくらいの量がある。今回もまた「鉱物資料館」は回りきれなかった。次回調査の楽しみとしたい。
タグ:写真
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生野義擧日記 [生野の先人]

「生野義挙日記」謄写版刷りの表紙 6日の生野鉱山視察の成果のひとつ。生野銀山売店で鉱山関係書籍とともに販売されていた。売価、1000円。

 太田虎一著「生野義擧日記」である。1941年にガリ版刷りで小部数出版された。生野の変の経過を時系列で日記風にまとめた資料集である。1993年、生野町文化財委員会の手により、復刻版として印刷出版された。原書は「太田虎一編」とされているが、オリジナリティが認められ復刻版は「太田虎一著」とされている。
 左の写真は「復刻版」におさめられていた原書の表紙のコピーである。

 今後、「生野の変」を調べていく資料のひとつとして参考にしたい。



太田虎一氏の写真〔略歴〕
太田虎一:1894~1948。生野尋常高等小学校・奥銀谷尋常小学校訓導など歴任後、生野町銀山区会議員、生野町収入役。
 教員ならびに収入役を務めるかたわら郷土史研究を続け、「生野誌」編集・執筆に関わり、「生野義擧日記」はじめ数々の郷土史関係論文を執筆。
(復刻版「生野義擧日記」より抜粋して経歴紹介。太田氏の写真も同書より)


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史跡・生野銀山 [生野の先人]

生野銀山.jpg 21年度「但馬ふるさとづくり大学」第2回講座は「史跡・生野銀山」であった。
 この史跡は昨年「但馬先人史跡探訪会」で視察済であったが、内容を「但馬人物誌」に反映させることはできなかった。
 今回は現地のボランティアガイドさんがついてくれて、詳しい説明を聞くことができたので、たいへん勉強になった。とりわけ前回はあまりのハードスケジュールに根をあげて見ることをしなかった「露天掘り」の現地を視察できたことは収穫であった。
 また前回はうっかりと気づかなかったが、明治期に生野銀山が近代的鉱山に生まれ変わる際にフランス人鉱山技師の貢献があったとのことで、資料館に展示がある。貴重な先人の苦闘の記録である。詳しく調査して機会があればいずれ紹介したい。
 露天掘りの現場を観光施設としているところは全国的にも珍しいそうだ。たいてい深い山の中にあり、坑道までは見せても、露天掘りまではなかなか見れないそうだ。
 また石見銀山跡は世界遺産に指定されたが、それより規模の大きい生野はなぜ指定されなかったかというと、石見銀山は昔の坑道跡や昔の町並みが比較的よく保存されているが、生野は明治期に近代化したので、規模は拡大したが、昔の跡は石見銀山ほどは保存されていない、近代化がかえってあだになっている、とはガイドさんの話であった。
 生野銀山のボランティアガイドを依頼するには事前に予約してください、とのことであった。ただ見て回るだけでなく、要所要所で説明してもらえるので、このボランティアガイド制度はぜひ、多くの人に活用していただきたい。
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